愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

53通目、クリスマスに考えた人生の間違いについて

妻へ

今日の企画は楽しかったように思います。
付き合って10年も経つと、たいていのプレゼントはお互いに渡し尽くしてしまった感があり、だから時間と費用に制約のある中で、お互いのプレゼントを探してプレゼンするというのは新鮮でした。
次回は、ハンズでなくロフトあたりにすると、もう少しプレゼントらしいものが買えるかもしれない。

今日の夜は、あなたのプレゼントのひとつであったスライムのナノブロックを組み立てながら、そしてback numberのアルバムに付属していたDVDをみながら、思索にふけりました。

前に一緒に見た行定勲監督のショートムービーは、何度見ても同じ切なさが胸に残ります。ぼくは何度も、主人公の冴えない(役者がでなく役柄が)青年に、自分自身を投影していました。

主人公の青年は、何度も機を逃す。
相手の女性は、明らかにまんざらでもないのに、それどころか誘いを待ってすらいるように思えるのに、主人公は部屋においでよと言えない。
何度も何度もチャンスを逃し、いてもたってもいられなくて、駆け出して彼女を追いかけるけど、電車は行ってしまう。

巷には、なるべくしてなったとか、この出会いは運命だとか、そんなフレーズがあふれています。
だからかわからないけれど、ぼくたちはつい、運命的なものこそが手にすべきだと思いがちです。
だけれど、運命らしく行かなかったからといって、悲観する必要も、無理やりにこれが運命だなんて嘯く必要も、ないのではないでしょうか。

もしかしてひとは、間違うようにできているんではないか。
恋の盲目は、ひとを間違いへ導くために先天的に持って生まれた寄生虫のようなものではないのか。
だって、ぼくたちは間違わなければ結婚も出産もできないじゃないかと思う。誰もがいつまでもありもしない「運命のひと」を探して彷徨っていたら、人類なんかあっという間に滅んでしまうでしょ?

幸せそうにしている誰もが、本当は、恋の盲目に盛大に騙され、運命じゃない人生を歩んでいるのかもしれない。

大多数がそうなのかなんてたしかめようもないことです。
でも、確実にぼくたちの内側には、間違う遺伝子が組み込まれています。きっと。

たぶん、たぶん、あなたはぼくの運命のひとじゃない。
ぼくに運命のひとを語らせたら、それは絶対にあのひとしかいない。

でも、あなたといられて幸せです。

たとえば恋の盲目に間違って選ばされた選択だとしても、運命だって思えなくても、楽しかったらいいじゃない。
無理やりにこれが運命って、言う必要はないのだ。

ぼくは間違った選択をしました、そこに一定量の後悔があります。今の人生は運命とはきっと違います。
だけど、それなりに楽しくもあります。

運命でなくたって、おっけーなこともあるのですきっと。