愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

43通目、あの頃の未来に僕らは立って

スマップの夜空ノムコウの歌詞。

「あの頃の未来に

僕らは立っているのかなぁ」

に、中学生の頃いたく感心した覚えがあります。
まだ振り返る過去もないような年齢のぼくにも、その言葉が持つ郷愁の音色は感じ取ることができました。

今ぼくがあなたと過ごしている日常は、過去にぼくが目指したものと同じでしょうか。
そうであってほしい。




今年のお盆は、ぼくの実家への里帰りでした。

娘を抱いて、三世代の家族で過ごす時間は、かけがえのないものに思われました。
いや、もしかしたら、あなたにとっては他人の家族と過ごすことは、気疲れがあったかもしれません。しかし、子バカかもしれませんが、ぼくの両親は優しいほうなのではないかと思います。あなたに対し嫌みたらしい態度は取らないと思います。それだけでなく、あなたのことをとても気に入っています。それはあなたが、本質的に気遣いのできる人間だからです。タイミングよくお酒を注ぐことができなくったって、相手のことを真に思いやることができることが、本当の意味で気遣いを持つということです。

私の両親はあなたをとても気に入っていて、だからみんなで過ごす時間はとても楽しく、穏やかなものでした。

こういう、家族の時間、をたくさん積み重ねることで、ぼくの中での秤は、あなたのほうに傾いていくのだとぼくは信じてこの生活をスタートしました。今でも、それを信じていないわけではありません。

しかし、少なくとも当初思ったスピードでは、傾きが進行していないのは事実のようです。

その原因は、ここまで語ってきたように、全てぼくの内心にあります。

ひとつひとつのできごとに、全てに、ぼくは「あのひと」を当てはめて夢想してしまうのです。

もし、あなたの立ち位置にあのひとがいるのだったら。
父は、母は、どんなふうに接していたのだろう。
ぼくはどんなふうに笑っていたのだろう。
どんな子どもが生まれたのだろう。


こう書くだけで涙が出そうになってしまうのは、この夢想はあなたと娘のことを、あからさまに無視して成立しているからです。

どうか勘違いしないでとお願いしたい。
もう一度人生があったとしても、きっとあなたとの邂逅を願う。
この子が、ぼくのところに娘として生まれてきてくれることを願う。
それは、まぎれもない本心です。

だからこそ、ぼくはぼくの夢想が哀しいのです。
もはや誰もその未来は望んでいない、ぼくだけが、もしかしたらこういう未来もあったかもしれないと、ただしがみついているだけのファンタジーです。だれにも利益を出さないその空想の世界を、それでもまだぼくは選択肢のなかにしのばせ続けています。

理屈抜きで望んでいる、あの頃の未来。

あの頃の未来、とは、なんて哀しい言葉でしょうか。

このまま哀しいまま終わるのも切ないですね。
もうひとつ、大好きな歌をここに残しておきます。

ミスチルのAnyから。




今僕のいる場所が

望んだものと違っても

悪くはない

きっと答えは

ひとつじゃない




きっとあの頃の未来と違うイマを歩いていても、それが不幸せだとは限らない。
この道を選んだことには理由がある。
きっと。



もう夜中の3時を過ぎました。
そろそろ寝ます。

もうそろそろ、ぼくにとって大きな後悔を生んだ一夜のことを、語らなくてはいけないかと考え始めています。

次か、その次の手紙にでも。

書く心の準備ができたら。