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愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

17通目20150111料理について

今日はあのひとの結婚式でした。
20年ぶりに再会する友人とともに、そのひとのもっとも美しくなる1日を祝福してきました。

お祝いの拍手と歓声を繰り返しながら、やはりぼくはこのひとが好きだという強い思いに駆られました。
あの位置に立つのが、ぼくの可能性もあったーー
と子どもじみた夢想を繰り返していたのでした。
情けない話です。

そもそも、そういった全ての可能性をふまえて、ぼくはあなたとの結婚を誓い、子を産んだのではないのか。それなのに、あなたとの全てをカッコに入れて、別の女性に想いを寄せられてしまう自分の軽薄さに嫌気が差します。

昨日、夕食を取る場所を探しながら、なぜこんなことになったのか思考を巡らせました。空腹と煩悶がごちゃ混ぜになり、幸せを料理にたとえるとーーという妙な発想が脳裏を突いて、この2ヶ月で絶望的な答えのみをループしていた私の考えを、半歩先へ進めてくれました。

料理にたとえると。
あのひととの間の幸せを空想するとき、それはぼくにとってとても美味しそうで、食べたい料理となりました。口に入れれば甘美な味覚が口いっぱいに広がるような、そんな料理でした。

いっぽうあなたとの間の幸せに、ぼくは何を目指したのか。
あなたとの間の幸せを料理にたとえると、それは食べたいというよりも、ぼくがつくりたい料理、でした。

食べたい料理とつくりたい料理。

そこに優劣はたぶんないはずで、どっちが幸せなの?と尋ねることはできない。

人の幸せが、数直線のうえに並べられるようなシンプルなものだったらわかりやすいのですが。
もしそうだったら、ぼくたちは、想定したふたつの未来を比較考量し、0.1でも数値の高いほうを選べばよいのです。
難しくない。

しかし現実はどうか。
幸せというものが、どうにも形をなさず、量で表現することもできなくて、ときには幸せでないものが幸せの皮をかぶってぼくたちに近寄ったりするのです。

そのひととの関係がなかったら、ぼくは今目の前にある料理をこのうえなく楽しめたと思うのです。

間違いなく、ぼくたちの間に拵えられたものは、幸福と呼んで全く差し支えないはずのものです。

しかしながら、何度も自答を繰り返すのは、もはやぼくにとって、ぼくのこころが最大に求めるものは、そのひとと過ごす時間だと自分でわかってしまったためです。

ぼくが手にすることのできた「ベターな幸福」は、満足してはいけないものに様変わりしてしまいました。

この事実をひた隠しにして一生を過ごしていくのか、それとも、あなたを騙している現状を打ち明け、独りの人生を選び直すのか。
煩悶は続くべきだということだけが、今理解し得ていることです。