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愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

2通目20141125

妻へ

いざとなると言葉が出てこないものです。
何から伝えたらよいのでしょうね。
溢れるほど伝えたいことがあるはずなのに、そこに優先順位をつけるということがどうにも難しいようです。

昨夜ぼくのうでの中で、愛娘が眠りについたことに、とても幸せな感覚を抱きました。
昨日、あなたの態度が柔らかかったのは錯覚だろうか。

ぼくたちは、毎日深夜に帰るぼくのせいで、たぶんふつうの夫婦より接する時間が短いと思います。いきおい、最低限の事務連絡だけをして会話を済ませることが、特に子どもができてからは、増えたように思います。

それではいけないと、なんとなくわかっていながら。

ぼくが未だ好きだと言ったその女性への好意に、ぼく自身が永い間気付かないふりをしてきたように、たぶんぼくとあなたとの間にも、ぼくが気付かないように努めてしまっているいくつかの事柄があります。

夫婦のコミュニケーションも、そのひとつです。

あなたが苛立っているときに、そのことに気付いていない素振りをしながら、本当は、苛立っていることそのものよりもその原因がぼくにあることに、気付かないようにしていたのだと思います。

あなたが寂しがりであることはよく承知していたはずなのに。

ぼくがその女性を忘れないでいるのには、交わした言葉の量に大きな要因がある気がします。

手書きの書き言葉で、これだけ多くの情報を伝えあった人たちを、ぼくは自分たち以外に知りません。同意してもらえると思いますが、手で書いた言葉や文字には、会話やメールと違った「篭り」があります。言葉そのものが伝えようとする以上の表情を、手書きの文字は伝えてしまいます。

ただでさえ伝える情報が多い手書き文字という媒体で、ぼくとそのひとは10年以上も定間隔にコミュニケーションを続けてきたのです。

直接会うことができるあなたとの、そこが違いでした。

あなたに寂しい思いをさせないためには、そしてメールや日常の会話が伝えきれない愛情のニュアンスを伝えていくには、自筆の文字には力があるのではないかと思います。

あなたの態度が柔らかかったことが、ぼくの錯覚でないと願っています。
恋人や夫婦は、互いに鏡なのだと思います。ぼくが愛情をいだくとき、あなたのふるまいにそれが映る。ぼくが嫌悪や倦怠をいだくとき、あなたのふるまいにそれが映る。

愛情にあふれた言葉が、ぼくたちふたりの間を行き来するとき、互いの鏡には互いの柔和な表情が映っているに違いないと思います。

書き言葉をあなたへ。

同棲を始めた頃に使っていたふたりノートを、もう一度使ってみようかな。

それがとこにあるのかもわからないので、結局ぼくはそのありかを聞くしかないのです。LINEで笑。