愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

68通目、マチネの終わりに

あなたへ。

 

もう年末のことになってしまいますが、平野啓一郎の本を初めて読みました。

 

マチネの終わりに。

 

本屋の書評から気になっていましたが、友人が勧めてくれて一気に読書欲が湧きました。

大人の恋の葛藤の話です。

 

ぼくは、この物語の主人公のように、才能に満ちた人間ではありません。

(むしろ個人の能力で生き抜くことに今もあこがれる、凡人のなかの凡人です。)

 

しかし、あまりにもぼくの悩みを投影できる物語であり、そのために人目を憚らず物語に没入してしまいました。(こういった物語に対する態度として没入すること自体がすこし恥ずかしいことであり、内心はどうであれ、客観的な立ち位置で読んでいる「風」を装うのが、大人の読み方だろうと思います。)

 

この物語の主人公は、ある女性と自分の運命的なつながりを確信していながら、自身と彼女をつなぐのとは別の運命のいたずらによって、別の女性と結婚してしまいます。その事象自体というよりも、そこに至る主人公の葛藤が物語の軸でした。ぼくはふだん、小説といえば貴志祐介などのミステリばかり読んでいるだけに、物語が先へ進むことへの快感こそが、物語に触れることの動機だと思っていました。もしかするとほとんど初めて、葛藤の過程に自己を同期させるという経験をしたかもしれません。結論はどうでもよく、主人公が経験する葛藤を、追体験というのももどかしいほど同時的に体感していく作業でした。

 

人は、誰かと結ばれても、子を生んでも、心がほんとうに希求する人のことは、忘れられないのだと、ぼくは感じとりました。情けないほどにぼくは、この物語に共感したのです。

 

もし興味が湧くなら読んでみてほしい。

ぼくが没入したこの物語に、だからこそあなたは没入できないかも、しれないけれど。

67通目、覚悟

妻へ

 

あなたとの旅の最中にこれを書いていることを正直に伝えておきます。

あなたへ言いたいことが、たくさん積もっていることを自覚しながら、なかなかその優先順位を浮上させられなかったことが、今という「タイミング」に表れています。

 

4年ぶりの飛騨高山。

そして、4年前と同じ素敵な宿。

旅はまだふたりだけだったころに、感情を戻させますね。たぶん、ぼくのほうだけでなく。

 

世帯年収としてはまずまずでありながら一向に貯金が増えないことを、頻繁な旅のせいにしていたぼくたちですが、今回の飛騨高山旅行をもって頻繁な旅に区切りをつけようという暗黙の総意はもろく崩れたようです。

それほど、非日常の時空はぼくたちを、恋人だった頃にもどす効果があるように思われます。

 

しかし、書こう書こうと思っていたことは、むしろ日常のなか常に思っていたことにほかなりません。旅が、旅が起こす情動が、書くことのきっかけになったことに過ぎません。

 

こうことわるのは、一時の情によってなされた決断だとあなたに誤解させたくないためだろうと思います。

 

うすうす、長いこと、ぼくはあなたを傷つける決断は、自分にはできないだろうと気付いていました。

あの日、ぼくがあのひとを結婚から引き止めるべく空港へ行ったときから、2年が経ちました。

思えばぼくがあなたを唯一傷つけることができたのは、あの夜しかなかったのです。

 

あの夜、文字通り手足が痺れるほどの決死行の熱に身体が引きずられることによってしか、ぼくはあなたを傷つけることなどできなかったのです。

 

そのチャンスのようなものを逃したぼくは、こうやって手紙などと読んで文字を起こしながら、もう一度あのときのような情動がぼくに起こるのを待つしかありませんでした。そしてそれは当然ながら、自然と起こることではありませんでした。

 

今やっと、ぼくの情動は、あなたを傷つける勇気を上回るものでないと受け入れられつつあります。

 

言い換えれば、あなたと生きていく覚悟のようなものが、ようやくできたということです。

 

しかしそれを、ぼくもあなたも、素直に喜ぶべきかはわかりません。

 

ぼくが今持った覚悟が、あなたを一番に愛するという覚悟なのか、

それとも二番目に愛する人を一番に愛しているかのように一生振る舞うことの覚悟なのか、

その似て非なるもののどちらなのかを判断できず、

さながらそのクレバスの始まりにまたがるように立って、

さてどちらに軸足を置こうかと

考えているかのようだからです。

 

何度も言います。

ただし何度も言います。

あなたを愛していることには、少しの偽りもありません。

あなたを幸せにしたいという純粋な思いも、結婚を決めたあのときと同じように、ぼくの中に燃え続けています。

 

元旦の飛騨高山の夜に。

66通目、新しい出会い3

妻へ

新しい出会いは、今も新しい出会いのままです。
いや、実はすこし変化したかもしれません。

当初、ぼくの新しい出会いは、高校生の恋のように、そのひとに会いたい、話したいと思うようなあり方でした。

今は、ぼくの胸から出る糸は彼女にピンと惹かれています。たるむことなく、張り詰めることもなく、適切な距離で適切な力強さで、糸は惹かれています。
つまり一言でいえば、素敵な日常と化しているということです。

もしかしたら、彼女もぼくに近しい親しみを感じているのかもしれません。
彼女に今言い寄っている男が、彼女へ強引な誘い方をしたとき、その男でなくぼくと話していたいという気持ちになったと、彼女は言っていました。
ぼくのような独身の男を見つけたいとも言いました。

全ていつもの笑い話の会話のなかでです。

でも、冗談や笑い話やおどけた表情のなかに、わずかな湿り気を込めたり感じたりすることは、初々しく瑞々しい恋愛感情に起因していると言えそうです。

ぼくが独身なら、彼女を傷つけずにともに過ごすことができるのに、と思っています。

今の自分に思うのことがふたつあります。

新しい恋に胸を躍らせ、彼女を愛する力量が自分に満ちているかのように思う今のぼくは、しかしそれはあなたとの長い年月によって育まれた自信がもとなのです。
あなたとすごした楽しく甘酸っぱい長い時間があって、今のぼくがあります。
そのことは決して忘れられるべきでない真実です。

もうひとつ。
結局、ぼくの心はいつかあなたとあのひとへの恋慕を水面へと浮上させるだろうということです。

彼女とLINEで会話を交わしながら、どこかで、あのひとのことも考えています。
ぼくの人生はどこかで、あのひととともに過ごす自分と、そうでない今とに分岐しました。

同じことが、今の新しい出会いにおいて、起こるわけではないだろうと思います。

65通目、大切なもの

妻へ

あなたが、ぼくに言ったことを、そんなにも気にしていたことを知って、不覚にもかわいいなと思ってしまいました。

恋われるということは、ひとの感情を動かすものですね。

そうしてぼくは、真剣に考えなくてはならないことに思い当たりました。

大切なものはなんなのか、ということです。
大切なものは時間軸にして、その座標上のどこにあるのか。

当然、現在や未来よりも、過去のほうが大切だという結論は、ありえないわけです。
古今東西のどの物語を取ってみても、過去よりも未来が大切だと謳われています。
それは絶対にその通りなのです。

しかし、自分が過去に囚われがちな人間であることを差し引いても、この件におけるぼくの過去への執着は、度が過ぎていると言わざるを得ません。

あなたと子どもと、そこにぼくを加えた家族の未来。
ふつうならば、それに勝る価値を持つものはありません。
にもかかわらず、ぼくは過去の思い出にすがり、過去存在した可能性にすがり、今もなおその可能性がどこかにあるのではないかと夢想するのです。
ともすれば、シュレディンガーの猫でいうところの猫の死がたまたまこの自分に訪れているだけであって、別の未来に分岐したもうひとりの、このぼくが夢想するような生活を営むぼくがいるとするならば、そのたまたまを恨むほかないなどと考えたりもしています。

物理の理論に文句をつけたって、もちろん何も解決はしません。
きっとぼくは解決しないことを理解しながら、今の自分を何かのせいにしたいのです。

さて。
過去と現在と未来。
どこに自分の価値を置くか。
それはきっとひとそれぞれでしょう。
99パーセントのひとが、現在以上のものを重視しているだけであって、ぼくが過去の価値を最大とみなすこともできると思います。

はたして、しかしそうなのであろうか。

そういう方法で思考を始めることで、自己の現状を見つめるのに数度違う角度からそれを行える気がしています。

ふー。
乱筆乱文にて、ごめんなさい。

64通目、言えないあなた、言えないぼく

妻へ


また、長いタームをおいての手紙となりました。

この間にあったのは、結婚記念日と娘の誕生日。
どちらも、派手ではないけれど、優しい素敵な時間になった気がしています。
よかった。

一方ぼくがあなたをSEXに誘った夜、あなたがあまり気乗りしなくまた今後も気乗りすることはかなり少ないだろうという趣旨の発言をしたことに、多少の感慨はあるものです。

翌日にあなたは、傷つけちゃったかな、ごめん。というメールをくれました。
この言葉にぼくは返信をためらいました。

傷ついてはいない。
怒ってもいない。

ただ、冷めてしまったかもしれない。興味をなくしたと言えば、あなたは傷つくでしょう。

きっとあなたは傷つく。
あなたが言葉に発したあなたの状態と同じ気持ちになっただけなのに、傷つかれるとは理不尽だなと思ってしまいます。

ただし、それも予測のなかのこと。
ぼくが言葉を発しない限りは、予測であなたを理不尽と断じるぼくのほうが理不尽ですね。

この期に及んでまだ、人を傷つけることにためらいを持つぼくは、全く成長していないのでしょうか。

あなたが子育てのイライラをためていることも、
それを発散する術を積極的に模索しないのも、
きちんと対話するのを避けるのも、
未解決の難題です、ぼくの中で。

それをあなたに言う機会を、探しているのだろうか。

63通目、このままでいいのかな


金沢を旅する幸せな時間のさなか、ぼくたちの間に発生した小さな、すれ違いのような衝突。

互いに苛立っていることはわかっています。
時間の経過とともに、それをやり過ごせるかもしれないことも。
どちらかというと、ぼくたちは今までそうやって過ごして来たように思います。

今回は珍しく、ぼくがあなたを咎める言葉を発しました。
ぼくの胸の裡は、咎めたい気持ち半分、このままなあなあで終わらせたくないという気持ちが半分でした。
あなたの「もういいじゃん、」という言葉に、だからぼくは少なくない失望を抱きました。

どちらが悪くても、ぼくは、話すことそのものに価値があるのだと考えます。
笑って過ごせるだけでなく、相手への非難も含めたたくさんの苦難を、話し合える関係であることが、夫婦には大切です。

あなたの逃走に、ぼくは失望しました。
あなたがぼくに謝らないのは、きっとぼくにぶつけたい非難があるからであるはずなのに、それをせずにぼくの投じたきっかけをないことにしようとしたことに、失望しました。

ところで、ぼくが珍しくあなたを咎めようとしたのには、ここ最近の新しい出会いが関係しています。

ぼくの新しい出会いは、職場で起こったものです。仕事の性質上、ぼくと彼女は、よく踏み込みあって議論をしてきました。
納得行かないことは、費用対効果を度外視してでも、納得行かないと議論をし合って来ました。

それを続けるなかで、ぼくはあのひととの関係性を思い出しつつありました。

あのひとも、納得しないことには決して同意をしないひとで、ぼくもそれに似て頑固でした。
互いに意見をぶつけ合いながら、互いに強く苛立ちながら、けっきょくどこかでわかり合っていくその過程がすさまじく好きでした。

あのひととのそんなやりとりも、ぼくとあなたが結婚したあたりから失われて行きました。あのひととのコンタクトがそもそも少なくなったからです。

そうしてしばらくの期間を経て、ぼくに新しい出会いが訪れました。
同僚である彼女と互いに踏み込み議論をする行為に、ぼくは人間として成長する瞬間を見出していました。たとえぼくに非があり、ぼくが拙いから起こるコンフリクトであったとしても、そのコンフリクトを経て到達するある地点は、それを経ずに到達したはずの地点よりも、互いにとって優れているとぼくは信じています。
それができるのが嬉しくて、ぼくにとって彼女との出会いは、わざわざ「新しい出会い」と名のつくものになったのだと思います。

だからと言って、それが理由であなたとは相性がわるいのだと断じてしまうことは短絡です。
もう少し深く思いを伝えてみようと思います。
ぼくは、話すことがしたいのだと、伝えてみようと思います。明日の旅行の予定が狂ってでも。

なるべくことの大きくならないように努め、行程がが予定通り進むことが好きなあなたには、時間のかかりそうな議論をこのタイミングで行うなど、理解しがたい蛮行でしょう。
しかし、ぼくにとってはむしろ、「今ここ」が最も大切なときなのです。「今」を再び逸せば、ぼくたちの間にぼくたちの関係性そのものを議論する機会は、しばらく訪れません。

のんびり生きてよいほど、人生は長くないと気付きつつある30代ですので、少しだけ生き急いでみようかと思います。

金沢の某ホテルにて。


62通目、だが断る

あなた

自分はこんなに頑張ってるのに、なんて言うつもりはないのだけど、夫婦が夫婦らしくいられるための努力をぼくはぼくなりにしているつもりでした。

うすうす、あなたの舌がぼくの舌の動きに応えないというのは感じていたことでした。
あなたが、その行為を好きでないと正直に言ったとき、ふたつの思いが去来しました。

ぼくたちは、付き合ってもうすぐで11年になるけど、まだわかりあうことができる。
まだわかっていない部分が互いの裡にあり、少しコミュニケーションの角度を変えるだけで、それが一間に浮き彫りになる。
それを妨げるのは、お互いをわかっているというお互いの誤解なのではないかと。

くしくも、新しくあなたと出会うというコンセプトは、こんなところでも間違っていないと証明されたような感覚です。

一方もう少しだけ正直に話すなら、小さな悲しみがあったことは事実です。
それが、一種の拒否であったことに疑いをはさむことはできません。
10年を経ての新しい拒否に、自分の筋肉の強張りを感じます。体と表情が自由さを失って、あなたの前にぼくは恥ずかしいうろたえをさらけるしかありませんでした。

こういう焦燥のようなものが、たしか恋愛にはつきものだったようにも思います。
ぼくたちの慣れた愛情に、この出来事がわずかに恋らしさを取り戻すのでしょうか。