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愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

57通目、愛する妻への手紙

妻へ

この一連の手紙の束に、「愛する妻への手紙」と名付け、ぼくの思考と感情を綴ってきました。

インターネットで検索しても、以前は全く出てこなかったのに、最近は同タイトルで検索すると上位に表示されるようです。アルゴリズムの妙でしょう。

ぼくが自分の思考と感情を整理する媒体に、なぜこのような形態を選んだのか。
なぜ、閉じられた日記やスマートフォンの中で完結させずに、わざわざ外から見られる可能性のあるところに、このような個人の内情を書いたのでしょうか。

外からの誰でも覗けるということは、あなたからも覗けるということです。あなたがぼくの内心を知ることは、ぼくにとって大きな不利であるはずなのに、なぜ。

もしかするとぼくは、ぼくの内心を知られてしまいたいという大きな欲求にかられているのではないでしょうか。
面と向かってあなたに告げる勇気はないけれど、どうにかしてあなたに知ってほしいという感情の表れなのではないでしょうか。自分が直接手を出さずにあなたを傷つけることを辞さない狡猾のなせるわざではないでしょうか。

ぼくはとてつもなく狡猾な自尊心でもって、自分とあなたをこうして世に晒し続けているのではないでしょうか。

もしかすると、そうなのではないでしょうか。

56通目、新しい隘路

妻へ

自分のなかで、あの人への想いは、それなりにけじめがついたような気がしています。

ぼくは、しかるべきタイミングで手も口も出せなかったのだし、あの人の気持ちがぼくに向くことはもうないとわかったいま、ぼくはぼくの人生をきちんと光らせねばならないと感じます。

そして、あなたはそのためにとても大切な人です。
ぼくの伴侶だからです。

しかしぼくたちは、互いに伴侶たり得ているのだろうか。

ぼくたちはお互いに心の裡をきちんと理解しているのだろうか。
理科しようとしているのだろうか。

子育てにいらいらしているあなた。
それを見ていらいらしているぼく。
互いに踏み込まずに、やり過ごしている。

子どものため、という言葉を免罪符に?

踏み込みたいし、踏み込んでほしいけれど、そんなエネルギーは残っていないのだとつい思ってしまう。

新しい隘路が、ぼくを包むようです。

55通目、愛と欲望の中間地点にあるSEX

割と意を決して、ぼくはあなたをSEXに誘うのですが、あまりうまく行きません。

あなたがぼくのほうに近寄って来ないのは、タイミングの問題だけでしょうか。

あなたは女性だから、もっと愛に寄ったSEXがほしいのでしょうか。

ぼくは男性だから、愛の皮の内側の欲望が、ズル剥けなのでしょうか。

何度誘っても、口での返答とたがってひとり眠るあなたに、ぼくも少し虚しさを感じ始めているのは事実なのです。

この虚しさが、反骨に変わるか、諦観に変わるかは、時間の問題のような気もします。

54通目、強くてニューゲーム

妻へ

北海道へお忍び旅行という、ぼくにしては大胆な行動を終えた直後、選ぶはずだったひとを選べなかった無力感に、そして今も残るあのひとへの郷愁に、ぼくは打ちひしがれていました。決着がつくかと思った思考は、「ふりだしに戻る」だったと言いました。

あれから何週間か経った今は。

不思議なことに、波立った感情はわずかに落ち着きを取り戻し、あなたと子どもへの愛情が再び胸を満たしている感覚です。
あなたと、わが子を、守っていきたいと思っています。

強くてニューゲーム。

そんなことを言われても、あなたはわからないでしょう。ぼくが小学生の頃にどハマりしていた、クロノトリガーというゲームに、一度全クリしたあとに、そのままのレベルで最初からスタートできるというシステムがありました。それが強くてニューゲーム。楽勝で進んでいけることに、爽快感があるものでした。

ぼくは、たしかにふりだしに戻っただけだと思います。
あのひとへの信頼や憧れを、なくせるはずはありません。あのひとと歩めたかもしれないパラレルの現在を、今日も夢想したりします。

思考は繰り返す。
だけど、その繰り返し方のバランスは、少しずつ、あなたと、あなたとともに築く家族への思いに、寄っていくのかもしれません。
感情のグラフは、揺らめきながら右側へ進んだあと、一定のスパンで原点Oに戻り、前回よりほんの少し上方をまた揺らめいていく。
そんなふうにして年輪のように重ねられる感情の線グラフが、あなたとの絆になっていくようにも思います。

ほんの少しだけ、強くてニューゲーム。

そうできたらいいなと思います。

53通目、クリスマスに考えた人生の間違いについて

妻へ

今日の企画は楽しかったように思います。
付き合って10年も経つと、たいていのプレゼントはお互いに渡し尽くしてしまった感があり、だから時間と費用に制約のある中で、お互いのプレゼントを探してプレゼンするというのは新鮮でした。
次回は、ハンズでなくロフトあたりにすると、もう少しプレゼントらしいものが買えるかもしれない。

今日の夜は、あなたのプレゼントのひとつであったスライムのナノブロックを組み立てながら、そしてback numberのアルバムに付属していたDVDをみながら、思索にふけりました。

前に一緒に見た行定勲監督のショートムービーは、何度見ても同じ切なさが胸に残ります。ぼくは何度も、主人公の冴えない(役者がでなく役柄が)青年に、自分自身を投影していました。

主人公の青年は、何度も機を逃す。
相手の女性は、明らかにまんざらでもないのに、それどころか誘いを待ってすらいるように思えるのに、主人公は部屋においでよと言えない。
何度も何度もチャンスを逃し、いてもたってもいられなくて、駆け出して彼女を追いかけるけど、電車は行ってしまう。

巷には、なるべくしてなったとか、この出会いは運命だとか、そんなフレーズがあふれています。
だからかわからないけれど、ぼくたちはつい、運命的なものこそが手にすべきだと思いがちです。
だけれど、運命らしく行かなかったからといって、悲観する必要も、無理やりにこれが運命だなんて嘯く必要も、ないのではないでしょうか。

もしかしてひとは、間違うようにできているんではないか。
恋の盲目は、ひとを間違いへ導くために先天的に持って生まれた寄生虫のようなものではないのか。
だって、ぼくたちは間違わなければ結婚も出産もできないじゃないかと思う。誰もがいつまでもありもしない「運命のひと」を探して彷徨っていたら、人類なんかあっという間に滅んでしまうでしょ?

幸せそうにしている誰もが、本当は、恋の盲目に盛大に騙され、運命じゃない人生を歩んでいるのかもしれない。

大多数がそうなのかなんてたしかめようもないことです。
でも、確実にぼくたちの内側には、間違う遺伝子が組み込まれています。きっと。

たぶん、たぶん、あなたはぼくの運命のひとじゃない。
ぼくに運命のひとを語らせたら、それは絶対にあのひとしかいない。

でも、あなたといられて幸せです。

たとえば恋の盲目に間違って選ばされた選択だとしても、運命だって思えなくても、楽しかったらいいじゃない。
無理やりにこれが運命って、言う必要はないのだ。

ぼくは間違った選択をしました、そこに一定量の後悔があります。今の人生は運命とはきっと違います。
だけど、それなりに楽しくもあります。

運命でなくたって、おっけーなこともあるのですきっと。

52通目、恋と愛について2

妻へ

恋とは、いいところを愛すること。
愛とは、わるいところを愛すること。

と言いました。
そう言うとき、あなたとぼくの相性はきっといいものだ、とも。

しかし、わずかに言葉を変えるだけで、意味する景色がまったく逆になってしまうことに、気がつきました。

恋とは、強いところを愛すること。
愛とは、弱いところを愛すること。

ぼくはあなたに、ぼくの弱さを見せたくないのだと、あるときに気がつきました。

ぼくの周辺に起こった、あるとても苦しいできごとを、あなたよりもあのひとに伝えたいと思うことがありました。
あなたよりもあのひとに聞いてほしいと思いました。

ただただ、ぼくはあのひとと話したいと思いました。

ぼくは、ぼくの弱さを、あのひとにだけ、正直に話すことができるのだとそのとき思いました。

あなたには、自分のわるいところは見せるくせに、弱いところは隠そうとするぼくの態度は、ひたすらに狡いことだと言えるのかもしれません。
あなたはどう感じますか。

51通目、恋と愛について

妻へ

恋と愛はどう違うか。

そんな命題はよく耳にされるものです。

ぼくは今まで、そんな設問には心の中でこう答えて来ました。

恋とは見つめ合うこと。
愛とは同じ方向を向くこと。

それはそれで、今もぼくの思う真実です。

しかし、もっとシンプルでありふれた答えを思いつきました。

恋は、相手のよい部分を愛する。
愛は、相手のわるい部分を愛する。

受容という姿勢の有無。

ぼくが最後の最後まで、あのひとに告白したり押し倒したりできなかったというのは、自分を受容してもらえる自信がなかったからではないでしょうか。

ぼくが今もあなたに強い態度でいられるのは、何をしても受容してもらえるという自信があるからではないでしょうか。

北海道へ会いに行き、決意と裏腹に何も言えず帰って来ました。

あのひととは、何度も何度もチャンスがありながら、ぼくは何も言えず何もできずを繰り返して来ました。

一方あなたとは、たった一度のチャンスをしっかりと掴むことができました。

あなたに対しては、わるい部分も見せていこうと思えたのならば、それがふたりの相性ということであり、愛なのではないかとすこし思いました。