愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

80通目、紙袋の忘れ物

妻へ

 

先週ぼくは、誤って名古屋まで行き、今日ぼくは、正しく名古屋に行った帰りの新幹線の中に、お土産の詰まった紙袋を忘れたのでありました。

 

ぼくにこういうことがしばしばあるのは、あなたに周知のことですね。

 

今日の出来事で、似たことが二週連続で起こったことに、いや、起こしたことに、ぼくはいま暗い気持ちでおります。

 

この暗い感情のまま何をする気にもならず、ただ暗い気持ちを吐き出そうと数カ月ぶりにこの手紙を更新することを思いついたのです。

 

ぼくが起こすこういうことに、たぶんあなたは驚いたり辟易したりしたこともあったでしょう。ぼく自身ですらそうなのですから、身近にいるあなたは、あなた自身のせいでないあれこれに振り回されることに、嫌気がさすこともあったはずなのです。

それは絶対にそうなのです。

 

こんな暗い気持ちのなか、それをあなたとの関係に結びつけることを強いるならば、それは「感謝」という感情に帰結します。

 

一緒にいてくれてありがとう。

 

ぼくはつい、人の悪さや弱さにばかり目をつける弱虫です。あなたに対してもそれはたぶんそうで、ぼくの心がどうしても「あのひと」から離れきらないことを、あなたの魅力の不足のせいであるかのように自分自身に言い聞かせていた節もあります。

 

私が別の誰かに惹かれるのは、わたしを惹きつけない此方のせいだーー。そういう理路から導かれるのは、「わたしは一方的に提供している」という、「損害感」です。

損害感は、人と人が同じ目的を目指すことからはもっとも遠い感情だと言えます。

 

ごく部分的な感情を、切り出して誇張して語っています、ぼくは損害感を持ってあなたと接していた…そうなのかもしれません。

 

そんなことを今まで思ったことは一度もありません。矛盾するようですが、はっきりと自分の感情をそんなふうに言語化したり自覚したりしたことはただの一度もありません。

 

しかし相対的な意味で、たぶんぼくは損害感を持っていたと言っていいのだと今は思います。

 

こんな暗い気持ちのなかでやっと気づくこと、、

ぼくがあなたに受け入れらていたということ。

 

あなたがぼくを、相当量受け入れてくれているということ。

それを思うと、ぼくがあなたにしてきた感謝は、とても足りないと思うのです。

本来感じるべき感謝と、実際に感じている感謝のギャップ。それが、損害感の正体です。

 

ぼくの中で、今日、あなたへ一歩近づいた感覚があるのです。

会話やプレゼントやキスやセックスを通じなくても、原因は単なる自分自身の失敗からであっても、

あなたとの関係性にはまだまだ発見できる余白があるーー。

 

そんな気付きを得たことを感謝しつつ、だからと言って今日の失敗は自分の中で簡単に許さないよう努めたいと思います。

 

79通目、おーなり由子さん

その名前を見ると、素敵な切なさに包まれるということに、ごく最近気がつきました。

 

おーなり由子さんというひとの本を初めて見つけたのは、高校生のとき。

市の図書館のマンガコーナーにあった「てのひら童話」につよく惹かれたのだけど、男子高校生が手にするものではなかろうと、すなおに言えば恥ずかしがって一度はあきらめたものの、その後ちょうどあのひととおーなり由子さんについて語る機会があって、勧めてもらうことでついにぼくはその本を借りることに成功しました。

それがおーなり由子さんとの出会いでした。

 

てのひら童話をぼくはとても気に入ってしまって、ほかの本も図書館や本屋さんで探して読みました。図書館で借りたてのひら童話も、すべて購入して手元に揃えました。いちばん好きだったてのひら童話3は、センター試験の日にお守りに持って行ったほどです。

 

ときに癒され、ときに好きなひとへのプレゼントに選んできたその作者の本たち。

それをほとんど5年ぶりに探すにあたって、単なる時間の経過を超えた懐かしさと、切なさが、ぼくの心に湧いて来たのでした。

 

ぼくにとっての、あのひととぼくの連結点を象徴する存在が、もしかしたらおーなり由子さんだったのかもしれない。

 

やさしい水彩の絵と、区切りがあいまいに続いていくやわらかい文章とが、とても好きでした。仕事のなかに「世間」を見てきたぼくを、すこしだけ、ぼく自身の原点であったはずの場所に引き戻す力が、おーなりさんの本にはあるように思えました。

 

おーなり由子さんの本を読む探しながら。

 

無事に、その本は見つかりました。

 

「赤ちゃんが笑うから。」

 

ぼくが最後に買ったおーなりさんの本もこれでした。

そのときと同じ感情で、あるいはすこし異なる感情で、ぼくはまたその本を買いました。

 

あのひとの子どもが元気に育つといいと思います。

子育ての大変さのなかでも、わが子がいることの素晴らしさをいつも感じられたらいいと思います。

 

そんな、

あの頃思い描いたのとはちがう、新しい切なさのなかで、ぼくはこの本といくつかのお祝いの品を、近々贈ろうと思っています。

78通目、千の夜をこえて

Aqua Timezのうたでこう語られます。

 

〜〜

 

千の夜をこえて

あなたに伝えたい

伝えなきゃならないことが

ある

 

(中略)

 

愛されたい

でも愛そうとしない

その繰り返しの中を彷徨って

僕が見つけた答えはひとつ

 

怖くたって傷ついたって

好きな人には好きって伝えるんだ

 

その想いが叶わなくても

好きな人には好きって伝えるんだ

 

〜〜引用終わり。

 

 

千の夜をこえて。

千の夜をこえて、ぼくが守るものはあなたたちだけ。

 

だけど

千の夜をこえて、気持ちを伝えたい相手がほかにたしかにいる。

 

その矛盾の波を

今も泳ぐ、たぶんこの先しばらくかけて。

 

好きな人には好きって伝えないといけない、という、あのひとの件で持つようになったぼくの信念を

あまりに上手に言葉にしていて

Aqua Timezに再会したのでした。

 

正確には、美吉田月のカバー曲で、なのですが…。

77通目、あなたを呼ぶ声は風にさらわれて2

〜〜〜〜

燃えさかる炎を飛び越えて

ここまでおいでよ

 

稲葉浩志『炎』より

〜〜〜〜

 

妻へ

 

台風が来ています。

明日の朝、東京を直撃とのこと。

インフルエンザも疑われる高熱にあなたが見舞われているこのタイミングで、あなたの身動きを制限するこの天候が訪れることを不運に思います。

 

どうかあなたに何もないように。

わが子にも、なにごともないように。

ふたりが無事でありますように。

 

そんな小さな危機のさなかにあっても、ぼくの心は今でもしつこくあのひとのことを思い出すのに余念がありません。

 

ぼくはこころのなかで、いまだにあのひとを旧姓で呼んでいます。

会話のなかであのひとがそれに触れたことがあります。わたしを旧姓で呼ぶのは、もはやあなたくらいだ、とあのひとは言ったのです。

 

ぼくはそれを単なる事実の指摘としか受けとめておりませんでした。しかし通常、人の発言には意図があるものです。その指摘の裏にあると想像される、あのひとの意図に、ぼくはそれこそ意図的に鈍感であったのではないでしょうか。

 

ぼくが旧姓で呼び続けていたことの裏にも、無意識的な意図があったと言えなくもありません。

 

そこには。

旧姓でいてほしかったぼくと、

それを咎めるあのひと。

そんな構図が浮かび上がって来ます。

 

そこまでわかったのならもう覚悟を決めればいい。

覚悟で心を満たせばいい。

そんなふうにわかっているのです。その方向に、ぼくはいままさに向かっているのです。

 

一歩ずつ、すこしずつ。

たぶん。

年間数ミリセンチメートルのペースくらいで…。

 

 

76通目、カルテットドーナツホールの別府くん

妻へ

 

カルテットというドラマの2周目を見ています。

ぼくがドラマを見るのは珍しいですよね。

 

別府くんがくじょうさんと寝るシーンがあるんです。

 

別のひとと婚約したくじょうさんと、別府くんが寝てしまうのです。

 

それを見てぼくは、ああいいなと思うのです。

 

たった一度でも、好きなひとと肉体の交歓を持てるということへの憧れを思い出すのです。

 

あなたとの人生を、ぼくはもう決意しているような気がします。

だけど、ときどきよりはすこしだけ高い頻度で、そういう気持ちが蘇ります。

 

ドラマの中で、松たか子がこう言います。

 

好きってこぼれるものでしょう?

 

ぼくの胸で、然るべき瞬間を何度も逃してきたことへの切なさが、潮の満ち引きのように、嗚咽しています。

 

いつかこぼれてしまうのだろうか。

 

 

75通目、二重の失望

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

思いがあふれたら

 

どうやって

 

君に伝えたらいいんだろう

 

横にいるだけじゃ

 

だめなんだ

 

back number 『わたがし』より

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

朝帰りの電車のなかです。

最近こういうことが多くてごめんなさい。

昨晩は、気のおけない仲間との交流の会でした。

楽しかったです。

仲間との楽しく語り合うのは、少なからずぼくは仲間のために働いているという側面を確認する時間となります。

 

仲間に感謝し、

仲間と交流することを決して止めないあなたにも感謝です。

 

ありがとう。

 

さて、

 

あのひとからLINEが入りました。

 

あのひとからのLINEに、正直なところ、

心ときめいてしまう、それを止めようとも思わない。

 

そんな自分に気付きながら、

LINEのトーク選択画面から見えるあのひとのLINEの内容に

目をくれることもなく開封するぼく。

 

そうして、ぼくは二重の失望を味わうこととなりました。

二重の失望。

 

LINEを開封して内容を読んだぼくはすぐに、

お祝いのことばを投げかけました。

しかし、そこにぼくの本意以外の何かが含まれていたことに、

ぼくは気付いていました。

 

本意以外の何かとは、認めたくないことだけれど、

それは「失望」と名付いたとしてもおかしくない性質のものであり、

かすかでもそんな感情を抱いたぼく自身への大きな失望が、そこに重なりました。

 

失望に似た何かを抱く自分に対する失望。

それが二重の失望です。

 

子どもが好きで教師となったあのひとは、

多くの女性がそうである以上に、

強く出産を願っていました。

 

そして、それがなかなか叶わないと言っていました。

年齢的に焦ってきていると、言っていました。

治療をしようと思っていると、言っていました。

 

ぼくたちの周りでも、

子どもがうまくできなかったことが不和の要因になったカップルがいますね。

 

そういった現実も含めたうえで、

あるいは含めなくとも、

当然以上にあのひとからの連絡は喜ばしいことです。

 

心から、それをそう言えないとしたら、

そのひとに人間としての価値はないのではないかとすら思ってしまいます。

 

ぼくは、価値のない人間かもしれないのです。

 

あのひとの結婚が決まったときも、

似たような感情を持ったことはたしかです。

この手紙が始まったのも、紛れもなくそれがきっかけでした。

 

しかしどこかで…

ぼくはぼくとあのひとがともに過ごすパラレルの世界に

ふと飛び込んでしまうというファンタジーが

起こるのではないかと、

密かに信じていたのです。おそらく。

 

今回の知らせは、

そんなパラレルは存在しないと決定する連絡のように思われたのです。

それがぼくの失望の正体です。

 

勝手なものですね。

ぼくは、最愛の、

文字通り最愛の娘をこの手に抱いているというのに

いざあのひとに訪れた幸せを

素直に喜べないなどというのはーー。

74通目、calling

君がいるなら

戻って来よう

いつでもこの場所へ

 

B'z 『calling』より

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

ここ数ヶ月で、ぼくは気付いていました。

 

ぼくにあなたを裏切ることはできない。

 

内心が別の女性を希求していることがすでに裏切りだと指摘されれば、

そこに反駁の術はなく、

もしあるとすれば、

そもそも「すでにそうだったぼく」をあなたは好きになったのでしょう、という、

余計に自分を窮地においやるような幼稚な言い訳だけです。

 

「裏切りとは何か」という哲学はあまりに深く難しいので、

いったんそれは停止し

裏切りとはあなた以外の女性を具体的な行為でもって愛すること

とシンプルに定義したい。

 

ぼくにあなたたちを裏切ることはできません。

 

ぼくは他人が傷付く瞬間に対し、あまりにも臆病です。

あなたへの愛情は、たしかに今もあるけれど、

それに匹敵するだけの臆病も相まって

ぼくはあなたを裏切らないのです。

 

自分には守るものがある…という、

英雄めいた自覚が生まれつつあることも

いま、あなたにメッセージしたい。

 

ぼくはあなたを裏切らない。

 

ぼくにあなたを裏切ることはできない。

 

そして、

その自覚に安堵を感じている自分。

あなたを傷つけることができなくてよかった、という、

不可思議な安堵を感じます。

 

安定という心が本当に求めるものに、

この身が近づいているのを感じます。

 

もう、この手紙は不要なんじゃないか、

デジタルの海にこの手紙を放流するというリスクは

そろそろ必要ないんじゃないか

 

そんな幸福な自問をしていたさなか、

 

ぼくの身にたった今起こったことが

「そうじゃないかもしれない」とつぶやくのです。

 

たった今ぼくの身に起こったことは、

思い返せばぼくの無自覚のまま

たぶんほとんど毎日ぼくの身に起こっていました。

 

今日、先ほど、

ぼくはふとんをかぶりめをつむったとき、

ぼくの脳内にあのひとの名を呼ぶ声が聞こえました。

ぼくの声で。

 

ぼくは、頭の中であのひとの名を呼んでいたのです。

いつも。

 

思えば、ぼくがいちばんに好きなのはもしかするとあのひとかもしれないと

自覚を持ったひとつのきっかけは、

あなたとの行為中に頭の中であのひとの名を呼んでいた瞬間にありました。

 

ぼくはかつて、

あなたの声を聞きながら、

あなたと汗を混じらせながら、

あなたの右足と左足の付け根にあるかすかな隙間に

ぼく自身の先端を出し入れしながら、

あなたのなかでぼくは

あのひとの名を呼んでいました。

 

しばらくなかったはずのそんなことが、

ふとんをかぶった瞬間に

ごく小さな声で

ぼくの脳のなかで再び起こったのです。

 

…完全なる無意識の裡に。

 

恐怖を感じます。

もはやあなたたちはぼくにとってかけがえのない宝物です。

そんなあなたたちを

傷つけるという行為に走る可能性を

ぼくは脳内の小さな声に

感じたのです。