愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

77通目、あなたを呼ぶ声は風にさらわれて2

〜〜〜〜

燃えさかる炎を飛び越えて

ここまでおいでよ

 

稲葉浩志『炎』より

〜〜〜〜

 

妻へ

 

台風が来ています。

明日の朝、東京を直撃とのこと。

インフルエンザも疑われる高熱にあなたが見舞われているこのタイミングで、あなたの身動きを制限するこの天候が訪れることを不運に思います。

 

どうかあなたに何もないように。

わが子にも、なにごともないように。

ふたりが無事でありますように。

 

そんな小さな危機のさなかにあっても、ぼくの心は今でもしつこくあのひとのことを思い出すのに余念がありません。

 

ぼくはこころのなかで、いまだにあのひとを旧姓で呼んでいます。

会話のなかであのひとがそれに触れたことがあります。わたしを旧姓で呼ぶのは、もはやあなたくらいだ、とあのひとは言ったのです。

 

ぼくはそれを単なる事実の指摘としか受けとめておりませんでした。しかし通常、人の発言には意図があるものです。その指摘の裏にあると想像される、あのひとの意図に、ぼくはそれこそ意図的に鈍感であったのではないでしょうか。

 

ぼくが旧姓で呼び続けていたことの裏にも、無意識的な意図があったと言えなくもありません。

 

そこには。

旧姓でいてほしかったぼくと、

それを咎めるあのひと。

そんな構図が浮かび上がって来ます。

 

そこまでわかったのならもう覚悟を決めればいい。

覚悟で心を満たせばいい。

そんなふうにわかっているのです。その方向に、ぼくはいままさに向かっているのです。

 

一歩ずつ、すこしずつ。

たぶん。

年間数ミリセンチメートルのペースくらいで…。

 

 

76通目、カルテットドーナツホールの別府くん

妻へ

 

カルテットというドラマの2周目を見ています。

ぼくがドラマを見るのは珍しいですよね。

 

別府くんがくじょうさんと寝るシーンがあるんです。

 

別のひとと婚約したくじょうさんと、別府くんが寝てしまうのです。

 

それを見てぼくは、ああいいなと思うのです。

 

たった一度でも、好きなひとと肉体の交歓を持てるということへの憧れを思い出すのです。

 

あなたとの人生を、ぼくはもう決意しているような気がします。

だけど、ときどきよりはすこしだけ高い頻度で、そういう気持ちが蘇ります。

 

ドラマの中で、松たか子がこう言います。

 

好きってこぼれるものでしょう?

 

ぼくの胸で、然るべき瞬間を何度も逃してきたことへの切なさが、潮の満ち引きのように、嗚咽しています。

 

いつかこぼれてしまうのだろうか。

 

 

75通目、二重の失望

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

思いがあふれたら

 

どうやって

 

君に伝えたらいいんだろう

 

横にいるだけじゃ

 

だめなんだ

 

back number 『わたがし』より

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

朝帰りの電車のなかです。

最近こういうことが多くてごめんなさい。

昨晩は、気のおけない仲間との交流の会でした。

楽しかったです。

仲間との楽しく語り合うのは、少なからずぼくは仲間のために働いているという側面を確認する時間となります。

 

仲間に感謝し、

仲間と交流することを決して止めないあなたにも感謝です。

 

ありがとう。

 

さて、

 

あのひとからLINEが入りました。

 

あのひとからのLINEに、正直なところ、

心ときめいてしまう、それを止めようとも思わない。

 

そんな自分に気付きながら、

LINEのトーク選択画面から見えるあのひとのLINEの内容に

目をくれることもなく開封するぼく。

 

そうして、ぼくは二重の失望を味わうこととなりました。

二重の失望。

 

LINEを開封して内容を読んだぼくはすぐに、

お祝いのことばを投げかけました。

しかし、そこにぼくの本意以外の何かが含まれていたことに、

ぼくは気付いていました。

 

本意以外の何かとは、認めたくないことだけれど、

それは「失望」と名付いたとしてもおかしくない性質のものであり、

かすかでもそんな感情を抱いたぼく自身への大きな失望が、そこに重なりました。

 

失望に似た何かを抱く自分に対する失望。

それが二重の失望です。

 

子どもが好きで教師となったあのひとは、

多くの女性がそうである以上に、

強く出産を願っていました。

 

そして、それがなかなか叶わないと言っていました。

年齢的に焦ってきていると、言っていました。

治療をしようと思っていると、言っていました。

 

ぼくたちの周りでも、

子どもがうまくできなかったことが不和の要因になったカップルがいますね。

 

そういった現実も含めたうえで、

あるいは含めなくとも、

当然以上にあのひとからの連絡は喜ばしいことです。

 

心から、それをそう言えないとしたら、

そのひとに人間としての価値はないのではないかとすら思ってしまいます。

 

ぼくは、価値のない人間かもしれないのです。

 

あのひとの結婚が決まったときも、

似たような感情を持ったことはたしかです。

この手紙が始まったのも、紛れもなくそれがきっかけでした。

 

しかしどこかで…

ぼくはぼくとあのひとがともに過ごすパラレルの世界に

ふと飛び込んでしまうというファンタジーが

起こるのではないかと、

密かに信じていたのです。おそらく。

 

今回の知らせは、

そんなパラレルは存在しないと決定する連絡のように思われたのです。

それがぼくの失望の正体です。

 

勝手なものですね。

ぼくは、最愛の、

文字通り最愛の娘をこの手に抱いているというのに

いざあのひとに訪れた幸せを

素直に喜べないなどというのはーー。

74通目、calling

君がいるなら

戻って来よう

いつでもこの場所へ

 

B'z 『calling』より

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

ここ数ヶ月で、ぼくは気付いていました。

 

ぼくにあなたを裏切ることはできない。

 

内心が別の女性を希求していることがすでに裏切りだと指摘されれば、

そこに反駁の術はなく、

もしあるとすれば、

そもそも「すでにそうだったぼく」をあなたは好きになったのでしょう、という、

余計に自分を窮地においやるような幼稚な言い訳だけです。

 

「裏切りとは何か」という哲学はあまりに深く難しいので、

いったんそれは停止し

裏切りとはあなた以外の女性を具体的な行為でもって愛すること

とシンプルに定義したい。

 

ぼくにあなたたちを裏切ることはできません。

 

ぼくは他人が傷付く瞬間に対し、あまりにも臆病です。

あなたへの愛情は、たしかに今もあるけれど、

それに匹敵するだけの臆病も相まって

ぼくはあなたを裏切らないのです。

 

自分には守るものがある…という、

英雄めいた自覚が生まれつつあることも

いま、あなたにメッセージしたい。

 

ぼくはあなたを裏切らない。

 

ぼくにあなたを裏切ることはできない。

 

そして、

その自覚に安堵を感じている自分。

あなたを傷つけることができなくてよかった、という、

不可思議な安堵を感じます。

 

安定という心が本当に求めるものに、

この身が近づいているのを感じます。

 

もう、この手紙は不要なんじゃないか、

デジタルの海にこの手紙を放流するというリスクは

そろそろ必要ないんじゃないか

 

そんな幸福な自問をしていたさなか、

 

ぼくの身にたった今起こったことが

「そうじゃないかもしれない」とつぶやくのです。

 

たった今ぼくの身に起こったことは、

思い返せばぼくの無自覚のまま

たぶんほとんど毎日ぼくの身に起こっていました。

 

今日、先ほど、

ぼくはふとんをかぶりめをつむったとき、

ぼくの脳内にあのひとの名を呼ぶ声が聞こえました。

ぼくの声で。

 

ぼくは、頭の中であのひとの名を呼んでいたのです。

いつも。

 

思えば、ぼくがいちばんに好きなのはもしかするとあのひとかもしれないと

自覚を持ったひとつのきっかけは、

あなたとの行為中に頭の中であのひとの名を呼んでいた瞬間にありました。

 

ぼくはかつて、

あなたの声を聞きながら、

あなたと汗を混じらせながら、

あなたの右足と左足の付け根にあるかすかな隙間に

ぼく自身の先端を出し入れしながら、

あなたのなかでぼくは

あのひとの名を呼んでいました。

 

しばらくなかったはずのそんなことが、

ふとんをかぶった瞬間に

ごく小さな声で

ぼくの脳のなかで再び起こったのです。

 

…完全なる無意識の裡に。

 

恐怖を感じます。

もはやあなたたちはぼくにとってかけがえのない宝物です。

そんなあなたたちを

傷つけるという行為に走る可能性を

ぼくは脳内の小さな声に

感じたのです。

 

 

 

73通目、あなたのことはそれほど

あなたのことはそれほどという不倫をテーマにしたドラマ。

 

おそらく世間で話題になっているのと同程度にぼくの近辺でも話題になっていて、

それだけならぼくは何の関心も持たなかったものの

かつてすこし読みたかったいくえみ綾作品となれば、

ドラマに関心のないぼくも手を伸ばすというものです。

もちろんぼくが手を伸ばしたのはドラマでなく原作のほうです。

 

ぼくがツタヤで借りてきた「あなたのことはそれほど」を、あなたはわざわざぼくに

これどうしたの?とLINEで尋ねて来ましたね。

読みたかったのと言われ、ぼくは納得しました。

あなたは、たしかに不倫ものが好きですね。

 

あなたのことはそれほどは、面白い物語です。

考察に値します。

ある意味哲学的でもある。

 

不倫をするのなら、どうして結婚をしたのか。

不倫をしながら結婚を続けるのはどうしてなのか。

男性の不倫は、ほとんど排泄欲に近いものが原因だと説明がつく。

難解なのは女性の不倫のほうです。

女性特有の承認欲求がとり持つものなのだろうか。

そう簡単に言い切れるものなのだろうか。

 

あなたが不倫ものを好きだということを、

そのまま不倫そのものへの欲求に置換してしまうほど

ぼくは短絡ではありません。

ただ、何かしらの無意識下での要因はあるのだろうと捉えています。

 

ぼくが借りてきたあなたのことはそれほど

あなたが読んで感想を交換し合えば、

あなたの奥底にある何かしらの原因が

見えてくるのかもしれない。

そのプロセスを楽しんでみたいと思っています。

 

あなたの奥底にある何かが、仮に後ろ暗い何かだったとしても、

ぼくはあまり驚きや落胆はなさそうです。

むしろ人間的であることへの肯定感すらあるかもしれない。

 

そんなわけで、ぼくはまた週末に

続きの巻を借りてくるでしょう。

あなたと何かを共有したいと思って。

 

ところで、ぼくがこの本を手に取ることにした直接の理由であるあのひとに

あなたのことはそれほどの感想を送ったけれど、

まだ、返事のメールはありません。

 

 

72通目、金曜夜大手町にて

妻へ

 

ぼくの誕生日にあなたがプレゼントをくれたことなどに差し置いて、別の話について語ることを許してください。

 

北海道にいた頃の友人たちと会って来ました。

友人と言っても当時ぼく自身が仲良くしていたわけではなく、どちらかと言うとあのひとを通じての友人と言ったほうが適切です。

2年前のあのひとの結婚式で再会した数人の仲間のうち、こちら方面に住んでいるふたりとフェイスブックで連絡を取っており、今回の会が実現しました。

 

3時間ほどの交歓のなかでもちろん話題は様々に跳躍するのですが、そのなかであのひとの結婚についても議論する流れとなりました。

当然、ぼくはなにも意見を言っていません。

本音を語ることも、ノリに合わせて語ることも、少なくともこのテーマについてぼくはできませんでした。

 

ふたりが語ったのは、あのひとはちゃんと幸せなのだろうかということです。

初めて会った式の場で、(彼女たちの言い方を控えめにしても)NGと思ったとのことでした。

あのひとがつらいときに、突き放すような言い方をしたことにも言及していました。その話はぼくも知っています。あのひとが精神の疲れから体調を崩し、一時休職していたときのことです。

様々な要素を総計したときに、彼女たちの基準ではNGとの結論ということです。

 

その話を聞きながら、ぼくが思っていたことはたったひとつでした。

 

もしも、

そこに立つのがぼくだったら

辛口の彼女たちは

ぼくのいないところでぼくをどう語ったのだろう。

 

もしも、ぼくだったら

あのひとの友人たちに

心配をかけることは

なかっただろうか。

 

夢想家のぼくは、その場ですらそんなことを考えていました。

 

誕生日のベルトのプレゼント、どうもありがとう。

気に入って使っています。

 

もうすぐあなたの誕生日ですね。

 

プレゼントは何がよいか、考えておいてもらえますか。

いつもなかなか決まらないあなたへ。

71通目、来る手紙

妻へ

 

もうすぐぼくの誕生日のようです。

歳を取るのはいやですね。

気持ちは若いまま、考え方は幼稚なまま、身体だけが歳を取っていく。

ほとんど自動的に新しい知識や考え方を吸収できた若い頃と異なり、30を過ぎた人間の成長は、歳を取っていく身体に精神を追いつかせようという強い意図のもとでしか起こらないのかもしれない。そんな気もしてきます。

 

誕生日のことを思い出したのは、あのひとからの連絡がきっかけでした。

 

「誕生日に何か送ったら、奥さん嫌がるかな?」

 

 とても難しい問いだと思いました。

実際、ぼくはぼくとあのひととの関係について、あなたに感想を求めたことはありません。

あなたのほうからぼくに、何か言おうとしたこともありません。

しかしながら、実際のところあなたはおそらくぼくとあのひととの関係を、こころよく思ってはいないでしょう。以前ぼくが、間もなくあのひとから手紙が届くだろうという話をしたときに、思わず「ごめんね」という言葉を添えてしまったことがありました。後ろめたさのこもったその言葉に瞬時に後悔したのを覚えています。そのときのあなたの返事はこうでした。

 

何がごめんね?平気だよ、あなたはわたしのことが大好きだって知っているから。

 

文章にするとかしこまって見えてしまうけれど、あなたはそういう内容の言葉を言ったのでした。ぼくは、それを聞いて、後悔を深めました。あなたは、ふだん自信に満ちあふれたことを言わない。自信のある言葉はけっして使わない。あなたがふだんと違う語法を採用したということには、あまりにも多くの意味が含まれていました。その裏には、ぼくが別の女性と深いつながりを維持することに対するネガティブな感情があることと思います。

 

しかしながらしかしながら、表向きにはぼくとあなたはそのことについて話をせずに、今を迎えています。だから、あのひとの問いは難しいと思いました。嫌がるとは言えない。しかし、こころよく思っていないこともわかる。

ましてそのニュアンスを文面で伝えるためには、相当なテキストボリュームと素敵な言い回しが必要です。

 

結果、ぼくは特に問題ないという旨の返事をしました。

あなたを狭量な女性に仕立てないことにしました。

 

その直後、電撃のようにぼく自身わかってしまったことがあります。

 

あのひととの手紙のやり取りをやめたがっているのは、ほかでもないぼく自身なのだと。

 

あのひととの手紙に、ぼくは懐かしい愛情を抱かざるを得ません。

あなたをしっかりと愛するし、少なくともそういうふるまいをするという決意の裏、あのひとからの手紙を受け取ると、むらむらとぼくは筆を取りたくなり、書き文字に込められたある籠りとともに、互いにしかわからない仕方で感情の疎通をしたいという欲求にかられます。

そしてぼくはそうであることが、そういうやり方で自分のあのひとへの感情を増幅させ続けてしまうことが、

今も怖いのです。