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愛する妻への手紙

最初の手紙から読んでください。http://familin2006.hatenadiary.jp/entry/2014/11/25/093359

73通目、あなたのことはそれほど

あなたのことはそれほどという不倫をテーマにしたドラマ。

 

おそらく世間で話題になっているのと同程度にぼくの近辺でも話題になっていて、

それだけならぼくは何の関心も持たなかったものの

かつてすこし読みたかったいくえみ綾作品となれば、

ドラマに関心のないぼくも手を伸ばすというものです。

もちろんぼくが手を伸ばしたのはドラマでなく原作のほうです。

 

ぼくがツタヤで借りてきた「あなたのことはそれほど」を、あなたはわざわざぼくに

これどうしたの?とLINEで尋ねて来ましたね。

読みたかったのと言われ、ぼくは納得しました。

あなたは、たしかに不倫ものが好きですね。

 

あなたのことはそれほどは、面白い物語です。

考察に値します。

ある意味哲学的でもある。

 

不倫をするのなら、どうして結婚をしたのか。

不倫をしながら結婚を続けるのはどうしてなのか。

男性の不倫は、ほとんど排泄欲に近いものが原因だと説明がつく。

難解なのは女性の不倫のほうです。

女性特有の承認欲求がとり持つものなのだろうか。

そう簡単に言い切れるものなのだろうか。

 

あなたが不倫ものを好きだということを、

そのまま不倫そのものへの欲求に置換してしまうほど

ぼくは短絡ではありません。

ただ、何かしらの無意識下での要因はあるのだろうと捉えています。

 

ぼくが借りてきたあなたのことはそれほど

あなたが読んで感想を交換し合えば、

あなたの奥底にある何かしらの原因が

見えてくるのかもしれない。

そのプロセスを楽しんでみたいと思っています。

 

あなたの奥底にある何かが、仮に後ろ暗い何かだったとしても、

ぼくはあまり驚きや落胆はなさそうです。

むしろ人間的であることへの肯定感すらあるかもしれない。

 

そんなわけで、ぼくはまた週末に

続きの巻を借りてくるでしょう。

あなたと何かを共有したいと思って。

 

ところで、ぼくがこの本を手に取ることにした直接の理由であるあのひとに

あなたのことはそれほどの感想を送ったけれど、

まだ、返事のメールはありません。

 

 

72通目、金曜夜大手町にて

妻へ

 

ぼくの誕生日にあなたがプレゼントをくれたことなどに差し置いて、別の話について語ることを許してください。

 

北海道にいた頃の友人たちと会って来ました。

友人と言っても当時ぼく自身が仲良くしていたわけではなく、どちらかと言うとあのひとを通じての友人と言ったほうが適切です。

2年前のあのひとの結婚式で再会した数人の仲間のうち、こちら方面に住んでいるふたりとフェイスブックで連絡を取っており、今回の会が実現しました。

 

3時間ほどの交歓のなかでもちろん話題は様々に跳躍するのですが、そのなかであのひとの結婚についても議論する流れとなりました。

当然、ぼくはなにも意見を言っていません。

本音を語ることも、ノリに合わせて語ることも、少なくともこのテーマについてぼくはできませんでした。

 

ふたりが語ったのは、あのひとはちゃんと幸せなのだろうかということです。

初めて会った式の場で、(彼女たちの言い方を控えめにしても)NGと思ったとのことでした。

あのひとがつらいときに、突き放すような言い方をしたことにも言及していました。その話はぼくも知っています。あのひとが精神の疲れから体調を崩し、一時休職していたときのことです。

様々な要素を総計したときに、彼女たちの基準ではNGとの結論ということです。

 

その話を聞きながら、ぼくが思っていたことはたったひとつでした。

 

もしも、

そこに立つのがぼくだったら

辛口の彼女たちは

ぼくのいないところでぼくをどう語ったのだろう。

 

もしも、ぼくだったら

あのひとの友人たちに

心配をかけることは

なかっただろうか。

 

夢想家のぼくは、その場ですらそんなことを考えていました。

 

誕生日のベルトのプレゼント、どうもありがとう。

気に入って使っています。

 

もうすぐあなたの誕生日ですね。

 

プレゼントは何がよいか、考えておいてもらえますか。

いつもなかなか決まらないあなたへ。

71通目、来る手紙

妻へ

 

もうすぐぼくの誕生日のようです。

歳を取るのはいやですね。

気持ちは若いまま、考え方は幼稚なまま、身体だけが歳を取っていく。

ほとんど自動的に新しい知識や考え方を吸収できた若い頃と異なり、30を過ぎた人間の成長は、歳を取っていく身体に精神を追いつかせようという強い意図のもとでしか起こらないのかもしれない。そんな気もしてきます。

 

誕生日のことを思い出したのは、あのひとからの連絡がきっかけでした。

 

「誕生日に何か送ったら、奥さん嫌がるかな?」

 

 とても難しい問いだと思いました。

実際、ぼくはぼくとあのひととの関係について、あなたに感想を求めたことはありません。

あなたのほうからぼくに、何か言おうとしたこともありません。

しかしながら、実際のところあなたはおそらくぼくとあのひととの関係を、こころよく思ってはいないでしょう。以前ぼくが、間もなくあのひとから手紙が届くだろうという話をしたときに、思わず「ごめんね」という言葉を添えてしまったことがありました。後ろめたさのこもったその言葉に瞬時に後悔したのを覚えています。そのときのあなたの返事はこうでした。

 

何がごめんね?平気だよ、あなたはわたしのことが大好きだって知っているから。

 

文章にするとかしこまって見えてしまうけれど、あなたはそういう内容の言葉を言ったのでした。ぼくは、それを聞いて、後悔を深めました。あなたは、ふだん自信に満ちあふれたことを言わない。自信のある言葉はけっして使わない。あなたがふだんと違う語法を採用したということには、あまりにも多くの意味が含まれていました。その裏には、ぼくが別の女性と深いつながりを維持することに対するネガティブな感情があることと思います。

 

しかしながらしかしながら、表向きにはぼくとあなたはそのことについて話をせずに、今を迎えています。だから、あのひとの問いは難しいと思いました。嫌がるとは言えない。しかし、こころよく思っていないこともわかる。

ましてそのニュアンスを文面で伝えるためには、相当なテキストボリュームと素敵な言い回しが必要です。

 

結果、ぼくは特に問題ないという旨の返事をしました。

あなたを狭量な女性に仕立てないことにしました。

 

その直後、電撃のようにぼく自身わかってしまったことがあります。

 

あのひととの手紙のやり取りをやめたがっているのは、ほかでもないぼく自身なのだと。

 

あのひととの手紙に、ぼくは懐かしい愛情を抱かざるを得ません。

あなたをしっかりと愛するし、少なくともそういうふるまいをするという決意の裏、あのひとからの手紙を受け取ると、むらむらとぼくは筆を取りたくなり、書き文字に込められたある籠りとともに、互いにしかわからない仕方で感情の疎通をしたいという欲求にかられます。

そしてぼくはそうであることが、そういうやり方で自分のあのひとへの感情を増幅させ続けてしまうことが、

今も怖いのです。

 

70通目、困難な結婚

妻へ

 

内田樹、と言っても通じないものとは思います。

 

マチネの終わりに、夫のちんぽが入らない、に続く結婚について考えさせられる本3冊目は、文字どおりに結婚についての書籍でした。

 

内田樹は教育について語ることも多く文章はわかりやすいため、愛読しています。内田樹自身が言っていますが、「自分が語らねばほかの誰も語らないであろうことを選択的に語る」ということを実践するひとです。

 

内田樹がこの本で語ったのもまさにそんな「選択的に語られた内容」であったと思います。そこから読み取れる主張とは、一言で言えば、「結婚とは幸せになるためにするものではない」ということです。

 

誤解して伝わりそうな言い方ですが、まさにそのようなことが書かれてありました。誤解を解くべく少し言葉を足すと、「結婚とは幸せの頂点を高めるために行なうものでなく、不幸のボトムラインを押し上げるために行なうものだ」ということです。それはつまり安全保障であると、氏は言います。

 

通説に反することでありながら、なかなか納得の行く主張ではないでしょうか。

 

ぼくたちは突然、

仕事を失うかもしれない。

病気になるかもしれない。

心が折れるかもしれない。

そういう「どん底のとき」に、どん底具合をマシなものにしてくれるのが、結婚であると。

 

心ときめく解釈ではないけれど、納得はいきます。結婚という言葉にまとまりつくピンク色のイメージの裏にある、「実際の効能」がそれなのでしょうね。

 

ぼくとあなたの結婚は、そういった意味で、「大成功」ではないでしょうか。

ぼくたちにやってきた人生のインシデントを、ふたりで乗り越えて来た感覚を持っていますが、あなたはどうでしょうか。

 

インシデントのなかには、独力で乗り越えるしかないこともたくさんありますが…。

 

たとえば、別の女性のことを忘れられない、とか。

69通目、夫のちんぽが入らない

妻へ

 

夫婦の絆に、セックスは重要な要素だとぼくは思っています。ぼくがそう思っていると、ぼくのあなたへの欲望の仕方から、あなたも感じていることでしょう。

 

ここ数ヶ月で言うなら、あなたのコンプレックスそのものである、あなたの体のある部分へのコンタクトが、あなたにこれほど官能的な幸福を与えるものだとわかったのはひとつの発見でした。身体は心とつながっているということを、あらためて思うものでもありました。

 

夫婦は新しくお互いを発見するということをできるだけ長く深く続けていくのがよいと思うし、そのためにセックスは重要な要素でありえます。

 

そんな思想のもと、だから「夫のちんぽが入らない」はタイトルから衝撃的でした。

そして、一見出オチ感もあるタイトルをはるかに凌駕する内容。

夫婦の在り方という難題を、何度も何度もつきつけるその筆圧に、ぼくはただ圧倒されるのでした。

 

 夫婦として日常を過ごす描写の合間、ことあるごとに挿入される「ちんぽはまだ入らない」という文句。

夫のちんぽは入らないのに、ほかの男性のちんぽは入ってしまう不思議。

夫婦でのセックスや子づくりは諦める一方、夫婦は信頼関係を増していく。互いの理解を深めていく。

 

そんなふたりの様子に、ぼくは心打たれました。

夫婦というのは、おそらく、定型的なパターンで括れるものなどないのでしょうね。

どのペアをとってみても、そこに固有の在り方をしてしまう。ぼくたちはつい「典型的な幸福」というものに憧れを持ってしまうけれど、少なくとも夫婦という形態においては、モデルとしての幸福な像というのはありえないのだろうと思います。

 

ちんぽが入らなくても互いを信頼し幸福に過ごす夫婦があります。

 

かたや、ちんぽは入るけれど、葛藤を持ちながら、それでもあなたを幸福せしめたいと欲望するぼくという人間があります。

ぼくはぼくの葛藤ごと、あなたと婚姻している。そう聞いたなら、あなたはきっと哀しむのでしょうね。

 

68通目、マチネの終わりに

あなたへ。

 

もう年末のことになってしまいますが、平野啓一郎の本を初めて読みました。

 

マチネの終わりに。

 

本屋の書評から気になっていましたが、友人が勧めてくれて一気に読書欲が湧きました。

大人の恋の葛藤の話です。

 

ぼくは、この物語の主人公のように、才能に満ちた人間ではありません。

(むしろ個人の能力で生き抜くことに今もあこがれる、凡人のなかの凡人です。)

 

しかし、あまりにもぼくの悩みを投影できる物語であり、そのために人目を憚らず物語に没入してしまいました。(こういった物語に対する態度として没入すること自体がすこし恥ずかしいことであり、内心はどうであれ、客観的な立ち位置で読んでいる「風」を装うのが、大人の読み方だろうと思います。)

 

この物語の主人公は、ある女性と自分の運命的なつながりを確信していながら、自身と彼女をつなぐのとは別の運命のいたずらによって、別の女性と結婚してしまいます。その事象自体というよりも、そこに至る主人公の葛藤が物語の軸でした。ぼくはふだん、小説といえば貴志祐介などのミステリばかり読んでいるだけに、物語が先へ進むことへの快感こそが、物語に触れることの動機だと思っていました。もしかするとほとんど初めて、葛藤の過程に自己を同期させるという経験をしたかもしれません。結論はどうでもよく、主人公が経験する葛藤を、追体験というのももどかしいほど同時的に体感していく作業でした。

 

人は、誰かと結ばれても、子を生んでも、心がほんとうに希求する人のことは、忘れられないのだと、ぼくは感じとりました。情けないほどにぼくは、この物語に共感したのです。

 

もし興味が湧くなら読んでみてほしい。

ぼくが没入したこの物語に、だからこそあなたは没入できないかも、しれないけれど。

67通目、覚悟

妻へ

 

あなたとの旅の最中にこれを書いていることを正直に伝えておきます。

あなたへ言いたいことが、たくさん積もっていることを自覚しながら、なかなかその優先順位を浮上させられなかったことが、今という「タイミング」に表れています。

 

4年ぶりの飛騨高山。

そして、4年前と同じ素敵な宿。

旅はまだふたりだけだったころに、感情を戻させますね。たぶん、ぼくのほうだけでなく。

 

世帯年収としてはまずまずでありながら一向に貯金が増えないことを、頻繁な旅のせいにしていたぼくたちですが、今回の飛騨高山旅行をもって頻繁な旅に区切りをつけようという暗黙の総意はもろく崩れたようです。

それほど、非日常の時空はぼくたちを、恋人だった頃にもどす効果があるように思われます。

 

しかし、書こう書こうと思っていたことは、むしろ日常のなか常に思っていたことにほかなりません。旅が、旅が起こす情動が、書くことのきっかけになったことに過ぎません。

 

こうことわるのは、一時の情によってなされた決断だとあなたに誤解させたくないためだろうと思います。

 

うすうす、長いこと、ぼくはあなたを傷つける決断は、自分にはできないだろうと気付いていました。

あの日、ぼくがあのひとを結婚から引き止めるべく空港へ行ったときから、2年が経ちました。

思えばぼくがあなたを唯一傷つけることができたのは、あの夜しかなかったのです。

 

あの夜、文字通り手足が痺れるほどの決死行の熱に身体が引きずられることによってしか、ぼくはあなたを傷つけることなどできなかったのです。

 

そのチャンスのようなものを逃したぼくは、こうやって手紙などと読んで文字を起こしながら、もう一度あのときのような情動がぼくに起こるのを待つしかありませんでした。そしてそれは当然ながら、自然と起こることではありませんでした。

 

今やっと、ぼくの情動は、あなたを傷つける勇気を上回るものでないと受け入れられつつあります。

 

言い換えれば、あなたと生きていく覚悟のようなものが、ようやくできたということです。

 

しかしそれを、ぼくもあなたも、素直に喜ぶべきかはわかりません。

 

ぼくが今持った覚悟が、あなたを一番に愛するという覚悟なのか、

それとも二番目に愛する人を一番に愛しているかのように一生振る舞うことの覚悟なのか、

その似て非なるもののどちらなのかを判断できず、

さながらそのクレバスの始まりにまたがるように立って、

さてどちらに軸足を置こうかと

考えているかのようだからです。

 

何度も言います。

ただし何度も言います。

あなたを愛していることには、少しの偽りもありません。

あなたを幸せにしたいという純粋な思いも、結婚を決めたあのときと同じように、ぼくの中に燃え続けています。

 

元旦の飛騨高山の夜に。